在籍20年の現役時代。一度も移籍することなく引退まですべてをレイカーズに捧げた
ファンやチームに最も愛されたスーパースター
数々の記録を残してきた、コービーブライアントが2016年4月13日(日本時間14日)に引退してから早2年が経ちました。
「なぜ今さらコービーについて?」そう疑問に思う人もいるかもしれません。
引退した当時は、日本でも放送されるなど世界中がコービーの引退に涙しました。かくゆう私も当時はコービーの引退宣言が衝撃的で受け止められない一人でした。
コービーのホームでのラストゲーム。私は幸いにもロサンゼルスに住んでおり、チケットこそ入手できなかったものの、コービーの最後を一目見ようとステープルズセンターに足を運びました。行き道、コービーの最期のプレイ姿を見たいような、見たくないような…なんとも複雑な思いで向かったのを覚えています。
ステープルズセンターに着くと、そこには私と同じようにチケットを手に入れられなかった人で溢れかえっており、一面コービーのユニフォーム一色のファンで埋め尽くされていました。
時折どこかから聞こえる「コービー」コール。この盛り上がりは試合が終わった数時間も終わることなく、おのおのコービーの引退を受け止めているのか、コービーの写真を手に持つ人、記念写真をひたすら撮っている人、中には泣いている人もいました。
Kobe Bryant (コービーブライアント)
1978年8月23日生まれ、アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィア出身。
身長198cm、体重93kg
両親が元NBA選手で、自身も2歳でバスケを始める。17歳でNBA入りし、その後20年間レイカーズでプレイする。世界で最も危険な猛毒蛇の一種「Black Mamba (ブラックマンバ」の愛称で親しまれた。
(豆知識) コービーの名前の由来は、Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)だそうで、お父さんが大好きだったことから名付けられたそうです。
コービーはルーキー1年目から引退まで一度もレイカーズ以外と契約することなく、またレイカーズもコービーを手放すことなく双方の関係は引退まで続き、NBA史上5人目となるキャリア20年、史上初の1チームでの現役20年という大記録となりました。
また、コービーはこれまで数々のレコードや賞を受賞しており、レイカーズの永久欠番ではかつての背番号8番と24番の2つが登録されることとなりました!2つも登録されることはとても珍しく、1チームに20年間在籍したコービーだからこそですね。
ちなみに、レイカーズの拠点であるロサンゼルスは、コービーに敬意を表し、引退後に永久欠番の8と24を合わせた、8月24日を「Kobe Bryant Day (コービーブライアントの日)」として記念日にしたそうな…どんだけ地元民に愛されてるんだよ!ってツッコミたくなりますが、これもコービーだからこそ!かもしれませんね。
その他の彼の華麗なる受賞暦はこちら。
(受賞の数が多いので表でご紹介します)
話は少し戻って…
コービーの引退試合となったジャズ対レイカーズ戦は、ホームのステイプルズセンターで行なわれ、コービーはその試合で2015-16リーグ最多となる60得点をマークし、見事チームを逆転勝利に導きました。
コービーに牽引されたレイカーズは第4クォーターを35-21(コービーはこのクォーターだけで23得点)、試合終盤にジャズを逆転し、101-96で勝利しました。コービーはフィールドゴール50本中22本を成功させ、(3ポイントシュートは21本中6本成功)当時の自己最多、並びに2015-16リーグ最多となる60得点をマークしました。
試合後、コート上でマイクを握ったコービーはどこか寂しそうにも、もう思い残すことはないとも言いたげな、スッキリとした晴れやかな笑顔で、現役人生の20年間をサポートし愛を注いでくれた球団とファンへの感謝の言葉を述べました。
「何よりも重要だったのは、キャリアを通じて僕たち全員が一丸となれたこと。皆さんは僕の心に常にい続ける存在です。心から、本当に感謝しています。心の底から、ありがとうと言わせてください。愛しています」。
「この20年間、いつだってチームメイトから『自分にパスを出せ』と強く言われてきたのに、今夜は、『パスを出すな』と言われて、まいってしまったよ」
時折ジョークを交え、会場をしんみりとしたものにさせないように気使ってか、終始笑顔で自身のキャリアを振り返ったコービーは、最後に「ほかに何を言えばいいかな? Mamba out!!(マンバは去ります!)」とマイクをコート上に置き、引退スピーチを締めくくりました。
試合後の会見では、「完璧な幕切れは優勝だったけれどね」と笑顔を見せ、「でも今夜はコートに出て、ハードにプレイしようとトライして、できる限りのことをやろうと思った。最後にしっかりプレイできて良い気分だった」と、引退試合を振り返りました。
惜しくもコービーが引退するまでの数年間、レイカーズは最下位を争うほどの弱小チームと化していました。一部、コービーにチームがお金を掛けすぎているから他の有能な選手が取れないと評価する人もいましたが、確かにコービーの契約金は最高で37億、最期の15-16シーズンでは30億円でチームの中でも1番高く、この契約金で将来有望な選手を何人か取ってきて育てるということができたはず。もしかしたら、コービー自身がチームを思ってこそ身を引いたのか、少なからず引退の理由のひとつになったのではないでしょうか。
もちろん年齢もありますが、タイミング的にチームの恩返しとして引退を決意したとも捉えられますね!
そんなコービーですが、これだけバスケ漬けの人生だったにもかかわらず、引退会見で記者からバスケが恋しくないか?と言う質問に対して
「全くない!」
と断言していました。笑
これもやり切ったからこそ出てきた言葉だったのでしょうね。何はともあれ、また偉大な選手がひとり去っていった今、新たなジョーダン、シャック、コービー…と続くよう今後の若手選手の成長が楽しみです!
2年経ちましたが、今やっと心から言えると思います!笑